ハンガリー民族舞踊団 Tokió Kalotaszegi Táncegyüttes in GYULA
ミレニアム・インターナショナルフォークダンス・フェスティバル
参加日記 前編
この日記は、過去での出来事を思い出しながら書いています。
(執筆日:平成12年10月5日 執筆者:軍司貞一)
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2000年8月14日 (午前10:30) KLM 飛行機は成田空港を飛び立つ。思えば、去年春、Budapest の
Táncháztalálkozó で友人のノヴァックさんに会った。その時、ノヴァックさんは私に、「来年は再びGyula で大きな
フェスティバルが開催されるので、あなたのグループを招待しますから、是非参加して下さい。」と、言ってくれた。そして、今年に入り、
一つのFax がハンガリーのGyula から入った。内容には8月のGyula で開催する「ミレニアム・インターナショナルフォークダンス・フェス
ティバル」に参加出演して欲しい由が書かれていた。フェスティバルのタイトルが4年前と異なっていると思いながらも、これを受けること
を決定して、準備を進めて来た。(・・・このタイトル名が違うのがどうしてか、実際にGyula に行った時に解かって、唖然とする。)
(夜9:30頃) 成田を出発して18時間少々、飛行機はブダペストのフェリニジ空港に降り立つ。途中オランダのアムステルダムでトラ
ンジットしたとは言え、身体はぐったりしてしまった。いつものこととは言え、日本とハンガリーの距離の遠さをうらめしく思った。そう
こう思っているうちに、心は一瞬の内に晴れ晴れとなる。到着ロビーに出ると、今回のツアーで何かとお世話になるエルデーイ・ティボール
先生夫妻が出迎えにいらしゃっていた。それに日本での練習に時々参加して、歌等を教えてくれているガーボルさんも出迎えに来てくれま
した。・・・と、再会を喜びつつ到着メンバーはエアポートミニバス?(空港からブダペスト市内ならどこへでも同一料金で行ってくれる
10人乗りぐらいのミニバス。この時はどうしてか中型バスで14名全員が乗れました。)にて、今日の宿のHostel Malco Polo に移動。この
ホテルは去年3月の旅行の時に泊まったホテルで、料金も高くないのでお奨めのホテルです。ホテルでは、すでに到着していたメンバーとも
無事再会出来ました。この日、私と妻はティボール先生のお宅に宿泊。夜も遅かったので、今回のツアーの打ち合わせを終えるとすぐに眠
りにつきました。
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8月15日 今日は予定通り?ティボール先生による踊りの講習会。と言っても今回のフェスティバルのため
練習してきた踊りをチェックしてもらうことが目的。会場は何とティボール先生のおうちのお庭。まず、パローツ地方(北ハンガリー)の
踊り。この踊りは今回のフェスティバルのために一年前から練習で取り上げ、日本でずいぶんと踊り込んできた踊りで、もちろん振付は
ティボール先生。何度か観てもらうと振付の一部をさらに難しく替えられてしまった。動きは大変だけれども、観ていてとても踊りが
シャープになった。さすがティボール先生と感心。他にソトマール地方(ハンガリーの東北地方)とカロタセグ地方(トランシルヴァニア)
の踊りも観てもらい、一部手直ししてもらう。この日は1時間半ぐらいの練習だったが、メンバー全員身体はグッタリ。前日の飛行機の疲
れ、時差ぼけ、それに炎天下(この日はとても天気が良く、日が高くなるにつれ気温がどんどん上昇。それにハンガリーは湿度が非常に低
く、慣れていない日本人にとっては暑さが苦痛に感じる。)での練習の為だ。でも、とても充実した練習でした。
(夕方) 王宮広場へ。友人のノヴァックさんが我々日本のメンバーをリハーサルに招待してくれた。実は同時期にブダペストで
ビッグフェスティバルが開催され、その総監督をノヴァックさんがやっていた。Honvéd együttes 、国立舞踊団、ブダペスト舞
踊団他、ハンガリーを代表するプロの舞踊団団員達が大勢でリハーサルを行なうのを観ていて、我々の踊りのレベルの低さを再び認識する。
リハーサルの踊りはMoldovai Táncok、Méhkeréki Táncok、Madocsai Táncok、
Székelyföldi Táncok、Legényes、Gyimesi Táncok などで、目を点にして観ていました。このリハーサルではハ
ンガリーの友人にも再会でき、とても良い時を過ごせました。リハーサルは深夜遅くまで続けるそうですが、我々は明日からの日程に備え、
途中で切り上げる。うーん残念・・・。
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8月16日 (朝) Gyula に向かったティボール先生の車は、ハンガリー大平原の中を黙々と進んで行く。
私も妻も、心地よい車の揺れと疲れのため夢うつつの眠りに入り込んでいる。時々目がさめては先生との静かな会話と、大平原の地平線を
眺めて、なぜか心が平穏に保たれている自分自身に気が付く。
(昼) 車はGyula に到着。早々にエルケル・フェレンツ劇場で今回のフェスティバルの主催者のソトマーリ・シャンドールさん、舞台
監督のガルッグ・ラスローさんに4年ぶりに再会する。それに今回我々の通訳をしてくれるアーコシュさん。ボランティアで何かとお世話し
てくれるシルビアちゃんとビーボルカちゃんの2人の女の子。4年前もそうだったが、我々のために大勢の人達が支えになって、フェスティ
バルを運営しているんだなー、と心の中に感じて、我々の参加出演の責任さをひしひしと感じてしまった。一生懸命頑張らねば・・・。
(夜) 夕食の後、踊りのトレーニング。場所はエルケル・フェレンツ劇場の舞台の上。初めて、演奏をして頂くバンドと、今回のフェ
スティバル用の踊りの踊り合わせをしました。我々日本のメンバーはいつになく真剣に練習に励んでいました。
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8月17日 (午前) 朝食の後、各国の舞踊団のリーダーを集めてのミーティング。今回のフェスティバルに
は我々の他に、イタリア、ユーゴスラビア、スロバキア(2つの舞踊団)、トルコ(2つの舞踊団)とハンガリー国内の2・3の舞踊団が
招待されていました。
(午後) 今回のフェスティバルの主催者より温泉に招待される。温泉と言っても広い敷地の中に、温水プールや露天のお風呂が数十ヶ
所点在しており、大勢の人達が思い思いに過ごしている。もちろんこの中では必ず水着を身に付けなければならない。我々メンバーも、明
日からの舞台の前に、温泉で十分にリラックス出来ました。
(19:30) 今回参加している各国の舞踊団のメンバー全員を集めてのパーティー。国別に踊りを見せ合う。我々は、日本の代表的な盆踊
りの炭坑節と東京音頭を踊る。我々が踊るだけじゃなく、観ている他の国の人達も輪の中に入れて一緒に踊ると、何故かとても盛り上がり
ました。その後はディスコ大会と続き我々メンバーの何人かは乗りに乗っていました。