ハンガリー民族舞踊団 Tokió Kalotaszegi Táncegyüttes in GYULA
ミレニアム・インターナショナルフォークダンス・フェスティバル
参加日記 後編
この日記は、過去での出来事を思い出しながら書いています。
(執筆日:平成12年10月5日 執筆者:軍司貞一)
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2000年8月18日 (午前) 朝食の後、本番の舞台の上でリハーサル。会場はジュラ城のそばの池の上に造
られたステージ。4年前に比べると、とても広くてビッグな舞台で、何か得たいの知れない緊張感が心の底から沸いてきました。まだ、本
番ではないのに・・・。
(夕方) メンバー全員浴衣に着替えて、エルケル・フェレンツ劇場の駐車場へ。ここからジュラ城までの1.5kmを行進しながら踊る。
我々の順番は2番手で馬車が先導してくれる。道路の両端にはたくさんの人達が見物に来ていて、ちょっとしたスターになったよう
だった。行進の途中何回か東京音頭と炭坑節を踊る。観客は初めて日本の踊りを生で観るようで、真剣に見ていました。日本の浴衣もとて
も珍しいみたいで、写真を撮っている人が大勢いました。
(19:30) 今回のフェスティバルの開会式に続いて、いよいよステージが始まる。今日は前半と後半の2ステージがあって、それぞれ7
つの舞踊団が踊る。我々は2ステージとも6番目のセミファイナルでの出番だ。観客はどのくらい集まっているかというと、4年前も多
かったが今年は比べられないくらい集まっていた。観客席は無論、周りの池のほとり、土手の上など大勢の人達がステージの周り、池の周
りを取り囲んでいる。我々の出番が近づくにつれ、いつにない緊張感がみなぎると共に、こんなに大勢の観客の前で踊れることに、心がう
きうきしている自分に気が付いて、再びこのフェスティバルに参加できたことにとても感謝しました。本番ではいつも以上に楽しく踊るこ
とができ、自分自身がこのステージの中にいるということに何とも言えない幸福感を覚えました。
今日のステージも終わり宿舎に戻った後、Táncház へ。何故か我々日本人のメンバーが中心になって踊っている。そう言えば
今回のフェスティバルはインターナショナルフォークダンス・フェスティバルで、外国人がほとんどだ。でも、とても盛り上がりました。
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8月19日 (午後) 特別公演のため Kondoros へ。Kondoros は Gyula から西へ40km行ったところにある
小さな町。ステージも小さかったけど大勢の町の人達が見に来てくれました。でも我々にとっては非常に辛いステージでした。何故かと言
うと、この日は気温が40度を超える暑さで、じっとしていても暑い中、舞台の上ではほとんど気力だけで踊っていました。でも、観に来て
くれた町の人達の拍手と歓声で、暑さが何処かに吹っ飛んで行ってしまいました。・・・ハプニング(実は東京音頭を踊っている途中、機
械の故障で音楽が切れてしまいました。でも踊りは止めないで、歌いながら続けて踊りました。日本で練習した時、皆で歌詞も覚えたこと
がとても良い結果になりました。)
(19:00) 今日の夜の公演は日本の踊りとパローツ地方の踊り、それにカロタセグ地方の踊りの3つ。特にパローツ地方の踊りは今回の
ために長い間練習した踊りです。私は観客席で観ていましたが、細かい間違えは有ったものの、全体的にはまとまっていました。踊り終え
た後、周りの観客は大きな拍手をしていました。
カロタセグ地方の踊りは私が主役(多分、今回で主役になるのは最後。思い出のため・・・。)。ところが今日のステージの一番最後の
出番。日頃の練習不足のため何ヶ所か間違えてしまったけれど、大変楽しく踊りました。アンコールも含めてたくさんの拍手と声援をいた
だきました。
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8月20日 (10:00) 今回のフェスティバルの主催者と各国舞踊団の代表者が集まって、レセプションとプ
レゼント交換が行なわれました。最初に Gyula 市の市長のダンツ・ラスローさんの挨拶の後、プレゼント交換とともに今回のフェスティバ
ル出演参加の感謝状をいだきました。又、各国の舞踊団の人達ともプレゼントの交換をしました。ここでも、私と妻は新聞社のインタ
ビューを受け、後で日本に送ってもらった新聞には写真と長い記事が載っていました。・・・内容はハンガリー語なので全然解かりません
が。
(19:00) 今日のステージはガラコンサート。それに、今日8月20日はハンガリー共和国の建国記念日でもあり、ハンガリー国歌斉唱や
市長さんの挨拶など厳粛な式典が行なわれました。ステージでは、町の人達全員が集まったのではないかと思うほどの、いつも以上の観客
に囲まれ、とても充実しながら踊りつつも、もっと練習を積んでくれば良かったなあーと、内心非常に後悔しました。
ステージの後、観客は全員お城の方を眺めている。何かと思ったら花火が次々と打ち上がってきた。日本と違って音楽を伴って花火が打
ち上がって行く。時間的には十数分の間だったが、感激の為か1時間ぐらいに感じた。花火と音楽の演出に時を忘れるほど感動しました。
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8月21日 (早朝)いよいよ Gyula ともさよなら。たくさんの思い出を乗せて、Budapest への列車に乗り込
む。が、混んでいてほとんどのメンバーは座れないでいる。やむなく、車掌さんと交渉して食堂車に移動。一等車の料金を払うと食堂車に
座れるようだ。他の乗客も同じ様に払っていたが、正規の方法かどうかは不明でした。でも、メンバー全員疲れているのでとても良かった
です。
ブダペスト東駅に着くと、この日に日本に帰るメンバーはタクシーで空港へ。私も含めてまだハンガリーに残るメンバーはホテルへ。
今日は買い物などブダペストのあっちこっちに行こうと思っていたが、疲れの為しばらくホテルのベットで横になりました。
(午後) ヴァーツィ通りまで買い物。でも、歩き疲れてすぐにホテルに帰りました。
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8月22日 (早朝) ホテルを出発。いよいよ日本への帰りの道につく。フェリニジ空港ではエルデーイ
・ティボールさん夫妻に別れを告げ、機中の人となりました。
- 8月23日 (朝) 飛行機は成田国際空港へ到着。これで今回のハンガリーツアーは終了。