Hungarian flag
ハンガリー民族舞踊団 Tokió Kalotaszegi Táncegyüttes in GYULA
 ワールド・ハンガリアンダンス・フェスティバル参加日記 前編
    ワールド・ハンガリアンダンス・フェスティバル会場 この日記は、過去での出来事を思い出しながら書いています。
     (執筆日:平成11年10月3日 執筆者:軍司貞一)

  • 1996年8月4日 (夕方未明)マリーヴ飛行機はブダペストのフェリニジ空港に降り立つ。さすがに直行便は ラクである。(いつもだと、途中で1・2回トランジットするので16時間ぐらいかかる。)早々に到着ロビーに出て、待ち合わせした他の メンバーと合流し、招待者の用意したトラック!?(招待者の Honvéd együttes はハンガリー軍隊に所属する団体なので、ト ラックが移動のために用意されると予想していたが、大型バスでした。)に乗り込んで、今夜の宿に向けて出発する。案内役は、秘書をし ているカタリンさん。何回もファックスで遣り取りをしているが、実物は美人でスタイルも超グー。しかしボーイフレンドがいるとのこと。 残念・・・。そうこうしているうちに、宿に到着。学生寮のようだ。(学生は夏休み中。)それからはすぐに眠りにつく。(私は、ここ 数ヶ月間仕事の都合で、1週間に2・3日しかまともに寝ていなかったのですぐに眠ってしまったが、ほかのメンバーは時差ぼけのためな かなか寝付けなかったようだ。)
     思えば、8ヶ月前一通の封筒がハンガリーより自宅に届いていた。内容は1996年の8月にハンガリーの Gyula でハンガリー建国1100年祭 記念事業の一つとしてワールド・ハンガリアンダンス・フェスティバルを開催するので、参加して欲しいとのことでした。その時は気分が 舞い上がってしまったけど、このチャンスを逃すと2度とハンガリーでの舞台出演は無くなると考え参加することを決定した。それからは いろんな問題をクリアしながら、不安と期待を胸に抱いて今日に至った。

  • 8月5日 今日は1日ブダペスト観光、と考えていたがまずフェスティバルの舞台で着用する民族衣装(一部 は持参したが荷物が多くなるため借りることになっている。)を借りに、 Honvéd együttes の本部事務所へ。たくさんの民族衣 装が保管されているのを目にして、メンバー全員大いに感激。その後皆でショピングのため地下鉄に乗り込む。ハンガリーでの交通機関が 初めてのメンバーはびっくり。地下鉄のホームはどの駅でも深いところにある。(東京の新御茶ノ水駅以上)しかも、エスカレーターの流 れが速い。それに地下鉄が走り出すと、加速がはやい。(したがって、初めてブダペストの地下鉄に乗るときはつり革にしっかりつかまっ て下さい。他のバス、市電も同じです。)

  • 8月6日(フェスティバル初日) 朝、宿より大型バスで一目散に Gyula に向かう。同行者はカタリンさん に加えてイギリスとカナダの舞踊団のメンバー。でも何かマジャール人(ハンガリー人)に囲まれているような感じ。(あとで解かったが イギリスとカナダのメンバーはほとんどマジャール人でした。)
     フェスティバルの会場となる Gyula は温泉(意外と知られていないがハンガリーは温泉で有名)とお城とお菓子やさんとソーセージとス トッキング工場で有名なところということで大変楽しみでもあり、いろんなことを思い浮かべながら、バスはハンガリー大平原の中を進 む。
     バスは Gyula に到着。と、間もなく私は主催者側の役員と各国の舞踊団の責任者を交えてミーティング。他のメンバーは踊りのリハー サルへ。今回のフェスティバルへはイギリス・カナダ・オランダ・スロバキア・ルーマニア・日本の計6ヶ国が招待されていた。
    Tokió Kalotaszegi Táncegyüttes  (夕方6時) オープニングセレモニーの後、いきなり舞台出演。会場は Gyula の中心にあるお城のそばの小さな池のほとり。例年だと 池の上にステージを創るが、池の水位が高いため今年は池のそば。昼間会場を下見した時は、舞台の前に200あまりの椅子が並んでいる だけだったが。本番では会場一帯あふれんばかりの観客。演奏を行ってくれるバンドは Hegedős együttes 。緊張しつつ踊りが 終わると拍手の洪水。でも、他の国の舞踊団のレベルを観て我々日本のメンバー全員の顔色が変わってしまった。果たして後の1週間精神 力が続いてくれるか。
     Gyula でのスケジュールは、明日から毎日、午前中はハンガリーの踊りの講習、午後はフリータイム、夕方6時からステージ出演、夜 11時よりターンツハーズ(生演奏での踊りのパーティー)と続いて、最後の13日はお城の中庭の舞台でビッグパフォーマンスの予定。 但し,我々日本のグループは1日だけステージ出演がないとのこと。休めるぞー。

  • Tokió Kalotaszegi Táncegyüttes 8月7日 (午前) 講習会。 Méhkerék の踊り。教えてくれたのは地元の舞踊団の芸術監督ラス ローさん。日本だったら、1日掛けて講習する内容を、2時間半あまりで教えた。でも身体で教えるので時間の短さが全然気になりません でした。日本ではいかに踊りを頭で覚えるか実感。
     (夕方) 今日のステージは昼間リハーサルをみっちりやったおかげでバッチリ。と思ったがやっぱり緊張の連続。ステージが終わった 後テレビの取材を受ける。その内容は観ることができなかったが、メンバーの一人が後で見てインタビューと踊っているところがしばらく 流されていたとのこと。

  • Tokió Kalotaszegi Táncegyüttes 8月8日 (朝) 主催者より我々の舞踊団のことが新聞の記事にになっていると知らされて、ビックリ。写 真も載っていた。記事の内容は、・・・日本人がハンガリーの踊りを踊った。ハンガリーの歌を歌った。・・・ということでした。我々の フェスティバルへの参加がずいぶん地元で話題になったようだ。
     (午前) 今日の講習会は若い指導者のミハリーさんによる、 Somogy の踊り。ステップの柔らかさまで細かく教えてくれた。
     (夜) ステージの後皆でレストランへ。地球の歩き方に魚と表示されていたレストラン。名前は忘れてしまったが、おすすめです。皆 で飲んで食べて合計六千円少々。日本だったら多分5・6倍位料金が掛かる。食事を満喫していよいよターンツハーズへ。実は前日私は疲れ と寝不足のためホテルで寝ていてターンツハーズに行かなかった。会場は夕方のステージのそば。野外である。大勢の人達が踊っていた。 圧倒されて観ているとハンガリー人の可愛い女の娘に踊ろうと誘われる。ラッキー。ターンツハーズは長々と続き、いつまでやっていた か。聞いたところによると朝まで続いたとのこと。