ハンガリー民族舞踊団 Tokió Kalotaszegi Táncegyüttes in GYULA
ワールド・ハンガリアンダンス・フェスティバル参加日記 後編
この日記は、過去での出来事を思い出しながら書いています。
(執筆日:平成12年1月20日 執筆者:軍司貞一)
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1996年8月9日 (朝) そろそろメンバーの疲れもたまって来つつあるようだ。そのせいか、朝の食事があ
まり取れない人もいる。でもさすがに、毎日同じ様なメニューだと、私でさえ飽きてしまった。・・・日本食が食べたーい。
(午前) 今日の講習会は Délalföld の踊り。教えたのはガールさん。皆はスーパーのおっさんと言っていたが、とてもパワ
フルな教え方をしていた。私にとってとてもわかりやすく、ハンガリーの指導者に多くいるタイプで、メンバーにも人気のあった一人でし
た。
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8月10日 (午前) 今日はこのフェスティバルに招待してくれたHonvéd együttes の芸術監督
であるノバックさんの講演会。Honvéd együttesのメンバーの演奏と踊りを交えて、とても有意義な勉強をした。ダンサ−の踊り
のレベルの高さに、ただただ感銘しつつ、ハンガリーの民族舞踊の音楽の歴史と分布(トランシルヴァニアも含む)を細かく知ることがで
きた。
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8月11日 (午前) 教わった踊りは、 Moldova と Gyimes の踊り。先生は、今回のフェスティバルでルー
マニアの舞踊団 Hargita állami székely népi együttesの指導者サーラ・フェレンツさん。身体は少々ボリュームが
あるが、踊りと指導は凄い迫力。でも、踊りの基本についてはノーマル(自然)に踊るようにと指導していた。
Honvéd együttes のメンバーも講習を受けていたため、我々のメンバーは常時気を張っていて、終わった時はグッタリ。
(夕方) 今日もステージ、と思っていたが、連日の舞台などのためメンバーの疲れがピークに達していた。やむなく、主催者側に申し入
れて本日のステージを中止。他の舞踊団の見物に出かけることにした。ただ観に行くのがもったいなかったので、メンバー全員でゆかた、
はんてんに着替えて出かける。ところが会場に行くと、我々の姿を観て主催者側より日本の踊りを踊って欲しいと要請される。そこで、持
参していた東京音頭と炭坑節のカセットを流してもらい、地元の舞踊団のメンバーと観客を踊りに巻き込んで、にわか盆踊り大会を行な
う。終わった時は拍手喝さいで、会場全体が大いに盛り上がった。・・・結局、今日もステージに上がってしまった。日本の踊りを紹介で
きて嬉しい反面、休みがなーい。とほほ・・・。
(夜) レストランでの夕食の後、宿泊先に戻ると、最後のメンバーの一人(後から参加)が Gyulaに到着して、すでに今日のターンツ
ハーズに行っているとのこと。急いで会場に行き、ハンガリーでの再会を喜ぶ。この夜は大いに盛り上がり、ターンツハーズも長い間踊っ
ていたが、最後はいつものように Mezőség の踊り。メンバーの何人かも頑張って踊っていたが、演奏のスピードが徐々に速くな
っていく。私もオランダのダンサーに誘われて(美人でスタイル抜群)踊りに加わっていたが、途中から1カップルづつ踊るカタチにな
る。私も踊りに入ろうと待っていると、さらに演奏のスピードが増す。踊り出す時は今までに体験したこともない速さ。でも必死になって
踊る。踊り終わるとなぜか今までにない満足感と幸福感に満ちていて、ハンガリーの踊りをやっていて本当に良かったと、心の中から感じ
た。
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8月12日 (夕方) 今日の我々のステージの主役は、他のメンバーへ。久しぶりに私のステージ前の緊張
感が少なくなったと思ったが、心が落ち着かなかった。でも成り行きに任せるしかなかった。池のほとりでのステージも今日で最後になる
ので、前もって予定していたように、踊り終わって、アンコールに答える。 Kalotaszeg の男性の踊りを演奏なしで踊る。観客にとても受
けて、たくさんの拍手をもらいました。
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8月13日 (午前) 今日はフェスティバルの最終日。主催者側及び各国舞踊団の団員と共にバスで近くの
観光牧場へ。目的はフェスティバルのクロージング・セレモニー、ホース・ライディングだ。主催者より記念品を受け取り、ランチを取っ
た後、我々メンバーはそれぞれ思い思いに過ごす。始めて馬に乗った者、ワイン・ビールをあおっているもの(実は私です)、他の舞踊団の
メンバーとお喋りをしている者、最後のハンガリーでの自由時間を皆、十分に満喫していました。
(午後) そうこうしていて Gyula に戻ると、今夜のビッグイベントのためのリハーサルが待っていた。お城の中庭が劇場になってい
て、舞台としては最高の雰囲気のある会場だ。しかし、我々にとって経験をした事のない舞台なので、リハーサルにもかかわらず緊張して
しまった。
(夕方) 宿舎で舞台の準備、明日の帰国の用意をしていると、長年に渡って、ハンガリーの踊りをご指導いただいているティボールさ
んご夫妻が、差し入れとお土産を持参して現れる。確かティボールさんの教えている舞踊団が海外講演中のはずで、今日のためにわざわざ
観に来てくれたようだ。皆大感激と同時にますます緊張感がひしひしと増していくようだった。
(夜) いよいよ本番。開場前の異常な程の大きな緊張感のうごめく中で、我々メンバーも徐々にテンションを上げていく。まず初めに
(今日のステージは出演3回)、我々の出番は地元の舞踊団に続いて2番手。踊りは Szatmár の踊り。ただ無我夢中で踊っていまし
た。2回目の踊りは2カップルの Mezőség の踊りを予定していたが、一人ダウンのため、1カップルのみの舞台となった。私は
舞台の後ろで様子を伺っていたが、上手く踊っているようだ。終わった後2人とも上手く踊れてほっとしていた。ところがその後雨がポツ
リポツリと落ちてくる。(劇場は野外)次第に大雨になり、ステージは中断する。30分ぐらい経って雨が止むと舞台上を整えて、ステー
ジ再開。我々も最後の踊り Kalotaszeg Táncok を一生懸命踊りました。今日のステージのフィナーレは各国の舞踊団のダンサー全員
による競演。踊りは Szatmár の踊り。思いっきり舞台の最前列で踊りました。終わると場内はわれんばかりの拍手。アンコールも
あって、最後は満足感と共に今回のフェスティバルに参加出演出来て本当に良かったと思いました。
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8月14日 今日はハンガリーとさようなら。まず、 Gyula を後にしてブダペストのフェリニジ空港に到着。
たくさんの思い出をお土産に日本への飛行機の機中の人となりました。